2012年5月27日日曜日

旧東ドイツ紀行(23)

11月17日(木) ライプツィヒ続き

ドイツ人男性が指をさした先には宗教画とは趣を異にした絵が祭壇のはしにかけられていた。
(左の2枚の絵のうちの下の方。右端中段より少し上からは蒸気が絶え間なく出ているが、これは夕方の出来事に関係してくるので注目)


  2人の女性が悲しげに袖で顔を覆っている。それでも大きく目をあけて前をしっかり見ている。 
この絵と東ドイツ民主化の動きとはどのような関係があるのだろうか。私はそう考えながら絵の前に置いてあった説明書きを読み始めた。

書き出しはこうだ。
「9月4日、2人の女性は『自由な人たちによる開かれた国を』と書かれた横断幕を持っていた」

1989年9月4日は、ライプツィヒの月曜デモが行われた最初の日。そこに彼女たちは横断幕を持って参加したのだ。

続いて
「2人の女性は、不安げに、そして勇気をもって先行きのわからない将来を見ている」
彼女たちの悲しげな表情は将来に対する不安から。そして大きく目をあけて彼女たちが見ているのはこの国の将来。

以下、要約する。
「彼女たちの名前は、マリリンとその友人ゲジーネ。その日に参加した市民はシュタージに蹴散らされ、彼女たちも横断幕を奪われた。
そういった光景は西側のメディアによって報道された。
この絵を描いたのはカトリン・ハッテンホイヤーという女性画家。
どんなことも始まりは小さいことから。平和的な革命はそれぞれの個人から始まった。
最初は、不安が大きく、希望は少なかった。
しかし、不安を克服することなしには自由を得ることはできない」

説明書きを読んで初めてこの絵がなぜここに掲げられているのかわかった。他の宗教画と等しく、東ドイツ民主化の動きが始まったこのニコライ教会にふさわしい絵だったのだ。

教会内のスーベニアショップには、ライプツィヒの観光ガイドや絵はがきにまじって東ドイツ民主化の動きの本や、当時のデモの様子などの写真も売られていた。
そこで私は"Leipzig 1989"という小冊子を買った。写真も多く掲載されているので、当時の高揚感が伝わってくる。

もう時計の針は12時を回っていたので、ニコライ教会には夕方また来ることにして、昼食をとることにした。

例によって食事の場所はあまり考えていなかったので、『地球の歩き方』に「1566年開業、ヨーロッパで証明できうるもっとも古いカフェ兼レストラン」と紹介されていた「カフェ・バウム(Coffe Baum)」に行くことにした。

少し遠回りをして小さな路地に入ると人通りも少ない。
これはクロスター(修道院)通り。「カフェ・バウム」はこの先。


カフェ・バウムの正面入口。長年にわたる改装後、1999年に再オープンしたとのことなので、外観は新しい。

注文したのはブロッコリーのパスタ(Brokkolipfanne)。直訳するとブロッコリーの小鍋。ここでも野菜中心の料理にしたが、ブロッコリーだけでなく、きのこもふんだんに入っている。
食べていてバターが少しきついかな、と思ったが、食後に外に出てみたらあまり寒さを感じなくなっていた。体の中の脂肪を燃焼させて寒さに耐えるためには脂肪分の補給も必要なのだ、と身をもって感じることができた。
飲み物はミネラルウォーター。もう体調は戻っていたが、ビールは夜の楽しみにとっておくことにした。
このボリュームで12.20ユーロ(約1,300円)。
店の中の雰囲気も一枚。


(次回に続く)

2012年5月21日月曜日

旧東ドイツ紀行(22)

11月17日(木) ライプツィヒ

今日はいよいよ「英雄の街(Heldenstadt)」ライプツィヒ。
切符は昨日の夕方のうちにドレスデン中央駅のDBの窓口で購入済みだ。
乗る列車は電光掲示板の下から2行目、10時23分発、フランクフルト空港行きのIC(インターシティ)。



 ライプツィヒ到着は11時28分の予定なので約1時間の小旅行。
外の景色を眺めていると、すぐに着いてしまう。
これはライプツィヒ中央駅構内。ドイツでも主要駅は駅ナカがにぎわっている。

ドイツの駅だが、ここでもアメリカ資本の広告が目立つ。

しかし駅正面は、いかにも重厚なヨーロッパの駅といった風格がある。

目ざすはニコライ教会。ライプツィヒ駅からほぼまっすぐ「ニコライ通り」を南下するとニコライ教会の塔が見えてきた。



建物の中は白やパステルカラーを基調とした明るい雰囲気で、柱は南国のヤシの木をイメージしている。

毎週月曜日の夜、このニコライ教会で平和の祈りが行われ、そのあと、市民が街中を練り歩き、民主化を求めた。その動きが東ドイツ全土に広がり、独裁政権が倒れた。
(東ドイツ民主化の動きは去年11月7日のブログをご参照ください)。
「ここがまさに東ドイツ民主化の聖地・ニコライ教会だ」
そう思うと喜びで胸がいっぱいになり、うれしさのあまり油断しているとほおがゆるんでしまう。
「教会の中でニタニタ笑う気味の悪い変な日本人」と思われたくなかったので、できるだ頬を引き締めて室内を見渡した。
これは祭壇側から入口側を見たところ。2階には大きなパイプオルガンがある。

そして祭壇のアップ。

祭壇の左手にあるポスターは、月曜の祈りを知らせるポスター。
右側に「毎月曜日 17時」と赤い字で書かれた小さい紙片が貼ってある。

この写真をとり、しばらくたたずんでいたら、後ろから
「すみません」と声をかけられた。
後ろを振り向くと、ひげをはやしたドイツ人青年が写真を撮ろうとカメラを構えていた。
私は「すみません」と言って横に避け、その青年が写真を撮り終わるのを見て話しかけた。
「私は東ドイツの民主化に興味があってこのニコライ教会に来ました」
と言うと、
「では、あの絵をぜひ見た方がいいですよ」といって、祭壇の右端の方を指さした。
(次回に続く)

2012年5月16日水曜日

旧東ドイツ紀行(21)

11月16日(水) ドレスデン市内

旧市街地区と新市街地区を結ぶアウグスト橋。

アウグスト橋を渡りきった新市街地区側には黄金に輝くアウグスト強王の像。バロックの街ドレスデンの基礎を築いた人だけに、街のあちこちに名前が残っている。

これは新市街地区側から旧市街地区を見たところ。聖母教会やレジデンツ城の塔が夕日に照らされ、シルエットのように浮かび上がってくる。

アウグスト橋のたもとでどこかで見たような絵を見つけた。街じゅうが水に浸かった2002年のエルベ川の氾濫を記憶に残すために作った「大波」という作品である。

もちろんオリジナルは葛飾北斎の冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」である。
これは今年2月25日に「川崎・砂子の里資料館」で購入した絵はがき。

 「川崎・砂子の里資料館」は、京急川崎駅から歩いて約3分、旧東海道沿いにある江戸後期の浮世絵を中心としたコレクションが豊富な資料館で、この絵が展示されているのがこの日までだったので、あわてて家を飛び出して見に行った。
展示スペースは決して広くないが、入館料無料というのはどうも申し訳ない。そこで、自分の納得する金額ということで寄付金箱に200円入れた。



葛飾北斎は、ドイツでも注目されている。ベルリンでも8月26日から10月24日まで北斎展を開催していた。


昼間の暖かさもつかの間。4時にはもう日が地平線に傾き、気温はぐっと下がってくる。
これは新市街地区の中央通り。中央通りといっても人と自転車しか通れない。両側には街路樹が並び、その外側にはアパートや商店が並んでいる。
街路樹の葉は茶色になり道路一面を覆っている。空は青く、私は教会に向かう。歩きながら思わずママス・アンド・パパスの「カリフォルニア・ドリーミング」を口ずさんでいた。



行く先は三王教会。空襲にもこの塔だけは破壊されずに残った。

建物自体は新しいが、正面の祭壇だけは焼けずに残ったのだろう。祭壇の前では夜のコンサートのための練習をしていた。厳かな雰囲気の中でいい音楽を聴くことができた。

 映画「ドレスデン」でも雪をうっすらとかぶったアウグスト橋が何回か出ている。
映画と同じく、路面電車が通るシーンを撮りたかったので、寒い中こごえながら路面電車が来るのを待った。そして来たのはラッピングされた青い車両。統一前は考えられないこと。これもドイツ統一の象徴だろう。

 夕食はどうしようか迷ったが、体調もまだ十分でなく、寒い中、外を歩き回りたくなかったので、ホテルのレストランでとることにした。
うれしいことに盛り切り一回のサラダバーがあったので、皿いっぱいによそった。朝食に野菜が少なかったので、野菜がとれない時期だからなのかな、と思っていたが、あるところにはあるものだ。あまりたくさんとったのでウエイトレスさんたちが目をぱちくりしていた。

この日も温かいものが飲みたかったのでスープをたのんだが、これは「ザクセン風スープ」というが、スープの隣のウインナーがザクセン風らしい。子どものお弁当に入れるタコの形にしたウインナーが「ザクセン風」のようだが、両側の先っぽに切れ目を入れてあるのでタコではない。
残念ながらこの日も地ビールはお預け。飲み物はミネラルウォーターにした。

(次回に続く )

2012年5月6日日曜日

旧東ドイツ紀行(20)

11月16日(水) ドレスデン市内

アルテ・マイスター絵画館を出たのが午後2時近くになったのは前々回のブログでふれたとおり。
例によって朝食をゆっくりたっぷり食べたのでこの時間になってもおなかが空かない。
それでも何か食べなくては、と考えながら旧市街地区を歩いていたら、あった。
そう、困ったときの「Subway」。
ここなら野菜も十分とることができる。
私は迷わず店に入った。
すると店の奥から気の良さそうなおにいさんが出てきて「こんにちわ」。
私もあいさつを返して、「野菜を全種類サンドしてください」と注文。
パンの種類は胚芽パン。
野菜をひととおりはさんでから、おにいさんが「ソースはどれにしましょう」。
「辛めのはありますか」
「メキシカンはどうでしょう」
名前からして辛そうなので、
「あまり辛すぎない方がいいんですけど」
「じゃ、試してみますか」
と言って、カットしたきゅうりにさっとメキシカンソースをつけてこちらに差し出してくれた。
それを口に入れながら「ちょうどいい辛さですね。じゃ、ソースはこれで」と私。

あとはデザートのクッキーとコーヒー。今度は間違えずにCafé Crémeを注文した。
これで5ユーロ7セント。当時のレートで550円ぐらい。この値段でごらんのとおりあふれんばかりの野菜。



食後の散歩。
ベルリンでもよく見かけたが、ドレスデンにも寿司バーが多い。海苔巻きが主だが、ドイツでもヘルシーな食事ということで人気が出てきているのだろうか。
今回は日本食が恋しくなるほど長くは滞在していないので入るつもりはなかったが、以前、ドイツに滞在していたときは、やたら日本食が食べたくなって困ったことがある。
地方都市だと日本料理の店がなかったからだ。そこで、ほとんど毎日中華料理を食べて気を紛らわしていたが、中華料理屋だと世界中どこにでもあるから助かる。
それでも日本食が食べたくなり、フランクフルト・アム・マインに出かける機会があったときには、迷わず日本料理店に行った。そのとき食べたマグロの握り寿司が涙が出るほど美味しく感じたことを今でも覚えている。


これはショッピングモールのクリスマスツリー。

この光景を見た瞬間、「これはまるで『みなとみらい』ではないか」と声を上げた。
ドレスデン中央駅から旧市街地までのプラーガー通りの両側には、ずらりとショッピングモールが立ち並んでいる。統一前にはホテルがちらほらあっただけで、ほとんど空き地だったので、何の遠慮もなく新しいショッピングモールをつくることができるのは横浜のみなとみらい地区と同じだ。中も吹き抜けになっていて、店の並びなどもよく似ている。ファストフードのチェーン店がはいっているところなども同じだ。

これは帰国後に行った横浜みなとみらい地区のランドマークプラザのクリスマスツリー。
ツリーの色合いは違うが雰囲気はよく似ている。


ドレスデンではショッピングモールの感じがランドマークプラザに似ていると思ったが、横浜では反対に、建物の外に出るとドレスデンの旧市街地区が見えてくるのでは、という不思議な錯覚におそわれ、またドレスデンに行きたくなってしまった。
こういうときは、少し足をのばして歴史博物館まで行ってみるか。
あのネオバロック様式の重厚なつくりの建物は、ドイツの街を思い出させてくれる。
(神奈川県立歴史博物館の適当な写真がなくてすみません。今度撮る機会があったらアップします)


下の写真は、旧東ドイツの紙幣を印刷したチョコ。ベルリンでは見かけなかったが、ドレスデンでは、駅のキオスクにも、旧市街地のみやげ物屋にも売っている。
今や「DDR」は商品のブランドとして確立しているようだ。DDRというだけで、少なくとも私のような変わり者はトラバントのミニカーやチョコレートを買っていく。
上から、5マルク紙幣は宗教家トーマス・ミュンツァー、10マルク紙幣は女性革命家クララ・ツェトキン、20マルク紙幣は以前のブログで実物の紙幣を紹介した文豪ゲーテ、50マルクはフリードリヒ・エンゲルス、そして100マルクはカール・マルクスの肖像が描かれている。さすがに社会主義の思想的支柱となったマルクスとエンゲルスは100マルクや50マルクのような高額紙幣に肖像が描かれているが、22年前に東ドイツを訪れたときにはお目にかかることはなかった。

(次回に続く)