2013年10月30日水曜日

バイエルン美術紀行(3)ニュンフェンブルク城

9月5日(木) ミュンヘン続き
ヴィッテルスバッハ家の夏の離宮として17世紀後半から造られ始めたニュンフェンブルク城。
幸いにも戦争の被害を受けず、かつての栄華をそのままとどめている。

王宮の前に向かい、入口の横にあったアクリルの案内板を見ていたら、ちょうどお掃除の女性がアクリル板を拭いているところで、
「ここは広いですよ。まず王宮に入って、次に馬車博物館、それに公園の中にある離宮を全部見て回ると3時間はかかりますよ」
と親切に教えてくれた。

パンフレットを見ると、公園の広さは180ha、新宿御苑の約3倍だ。その中に離宮が4つある。確かに歩きがいがありそうだが、この日の午後はずっとここにいるつもりでいたので、王宮だけでなく、馬車博物館や離宮の入場料が全部込みの11.50ユーロのチケットを買った。日本円で約1,500円。半日楽しむには高い値段ではない。

こちらは公園の中で見つけた案内板。
右側が王宮でその後ろに広大な公園が広がっている。



王宮に入ってすぐの大広間が「石の間(Steinerner Saal)」。天井画が素晴らしい。


こちらはルードヴィッヒ1世が愛した美人36人の肖像画が並ぶ「美人の間」。
美人投票があるなら誰に投票しようかしばらく眺めていたが、みんな美人で、結局決められなかった。

こちらはルードヴィヒ2世(1845-1886 在位1864-1886)が生まれた部屋の調度品。
鏡に写っているのはベッドの上の飾り。
ひっ迫する国家財政を顧みずノイシュバンシュタイン城を造り、ヴァーグナーの音楽に心酔してバイロイト祝祭劇場を建て、晩年は狂気にふれて幽閉され、謎の溺死をとげたという、スキャンダルに満ちたルードヴィヒ2世だったが、おそらく日本ではいちばん有名なバイエルン王の生まれた部屋は、豪華な調度品に満ちてはいるが、以外にも緑を基調とした落ち着いた雰囲気の部屋だった。


ドイツ統一の主導権をプロイセンに取られ、激動の時代にバイエルン王国が取り残されても全く意に介さず文化に情熱を注いだルードヴィヒ2世は、当時のバイエルンの人たちにとっては迷惑だっただろう。しかし、欧州に平和が訪れた今となっては、ノイシュバンシュタイン城には世界中から多くの観光客が訪れ、バイロイトでは毎年夏には音楽祭が盛大に開催され、地元はにぎわいを見せている。
私は思わず、国の財政が悪化してもドイツ・バロック様式の宮殿を造り、美術品を収集したザクセンのアウグス強王やその息子フリードリヒ=アウグスト公のことを思い出した。

http://deutschland-ostundwest.blogspot.jp/2012/04/18.html

日本にも、戦乱をよそに銀閣寺を建て、その後、「わび」「さび」に代表される日本人の美意識を決定づけた足利義政がいる。

文化は人の心を豊かにするが、政治をおざなりにすると世は乱れる。このバランスが難しいところ。

当時の人たちの苦しみを思うと複雑な気持ちになるが、民衆たちの苦労に敬意を表しつつ、素直に権力者たちの遺してくれた文化遺産を楽しむのが一番なのかもしれない。
(次回に続く)

2013年10月23日水曜日

「横山大観から速水御舟まで」平塚市美術館

先週の土曜日(10月19日)、平塚市美術館で開催中の「伊豆市コレクションによる天才たちの若き日~横山大観から速水御舟まで」に行ってきました。


この特別展は、今年2月に伊豆市と平塚市が友好都市提携協定を結んだのを記念して開催されたもので、修善寺温泉の老舗旅館「新井旅館」の3代目主人・相原寛太郎氏が明治の終わりから昭和の初めにかけて収集した作品を中心に、横山大観、今村紫紅、小林古径、安田靫彦、前田青邨、速水御舟といった近代日本画を代表する画家たちの若いころの作品が展示されています。


この日は学芸員さんのギャラリートークがある日で、担当学芸員・江口さんのユーモアをまじえたわかりやすい解説で、それぞれの作品や画家たちにより親しみがわいてきました。

相原寛太郎さんは、自分でも日本画を習っていた方で、才能はあるけどまだ無名の若い画家を自分の旅館に招き、食事を出したり、寝泊まりさせたりして、絵を描かせたとのことで、当時すでに有名だった大観はVIP待遇で、離れの部屋を用意するほどの徹底ぶりだったそうです。

入口に行ってすぐ右にある安田靫彦の「吉野訣別」は、なんと靫彦が数えで16歳の時の作品(下のパンフレット左の上から2番目)。仕上げがまだ未熟なところもあるが、今でいえば中学生のころから才能を発揮していたといったとのお話でしたが、解説を聞かなければとても16歳の少年の作品とは思わなかったでしょう。
他にも、細部にこだわる小林古径の「箏三線」(左の一番下)、画面全体に空気感を感じさせる菱田春草の「秋郊帰牧」(右の一番下)、右隻に広がりのある松と幹にとまる鳥、左隻にまっすぐの竹と飛んでいる鳥といった具合に画面を対照させるところに琳派の影響も感じられる大観の六曲一双の屏風「松竹遊禽」(一番上)、すりガラスのような絶妙なタッチで燈籠を描いた前田青邨の「燈籠大臣」などなど、主な作品ごとにポイントも解説していただきました。


(パンフレットも充実しています。見開きになっていて、中には大観と御舟が渡欧する前の壮行会のときに新井旅館中庭で撮った写真も掲載されています)

また、「西の栖鳳、東の林響」とまで言われたが40歳の若さで亡くなった石井林響、浮世絵のような着物の鮮やかな色合いを表現する広瀬長江(ちょうこう)といった、今まで知らなかった画家の素晴らしい作品に出会うのも展覧会の大きな魅力です。

安田靫彦は、第1回文展に出した「豊公」が岡倉天心に気に入られ、茨城県の五浦(いづら)に呼ばれたとの説明書きがありましたが、天心や五浦といった文字を見ると、先日試写会で見た映画「天心」で天心役を演じた竹中直人さんの顔が思い浮かんできてしまいます(10月10日のブログをご参照ください)。映像の影響って大きいですね。

「天心イヤー」にふさわしいこの特別展。
100点以上ある伊豆市コレクションを保管している地元の修善寺郷土資料館では、スペースの都合で10点ほどの作品を1か月ごとに入れ替えをして展示しているので、一挙に64点も見ることができるなんてまるで夢のような企画です。

会期は11月24日までです。ギャラリートークももう一回あります。
詳細は平塚市美術館のホームページでご確認ください。

http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/2013206.htm

2013年10月20日日曜日

バイエルン美術紀行(2)ミュンヘン市内散策

9月5日(木)ミュンヘン
観光初日。
朝6時前に起きてたっぷり朝食をとり、ゆっくりコーヒーを飲んでからホテルを出て街の中心に向かった。
今回泊まったホテルは中央駅近くの「オイロペーイッシャー・ホフ(Europäischer Hof)」。
駅前だと歩いて行ける範囲に王宮(レジデンツ)や美術館があるし、ニュルンベルクに列車で行くにもちょうどいい。
しかし誤算だったのは、道路に面した部屋だったので、ホテル前にテーブルを出しているレストランの客の話し声や酔っぱらいの騒ぐ声、パトカーのサイレンの音、といった具合に朝方まで騒々しかったこと。

翌朝、フロントに行って、道路に面していない部屋に替えてもらうよう交渉したが、空いている部屋はないと言う。
後から思ったが、道路に面していない部屋はきっとランクが上の部屋なのだろう。

寝不足気味の頭には、朝の涼しげな風が何とも心地よい。

カールス門をくぐり、メインストリートのノイハウザー通りをぷらぷら歩き、新市庁舎にあるインフォメーションの前で開業時間の9時まで少し待つことにした。

ノイハウザー通り側から見たカールス門


今回の旅行の行程は大まかに次のように考えていた。

9月5日(木)     ミュンヘン郊外(ニュンフェンブルク城)
9月6日(金)     ニュルンベルク
9月7日(土)     レジデンツをはじめとした市の中心、レンバッハギャラリー
9月8日(日)午前 アルテ・ピナコテーク、ノイエ・ピナコテーク

早めに遠くに行って、その後は時間の許す限りミュンヘン市内をうろうろしようという魂胆(こんたん)だ。

インフォメーションが開き、私の順番が来た。
対応してくれたのは年配の女性。
ニュンフェンブルク城への行き方や1日乗車券の適用エリアなどを訊いたが、どれもテキパキと答えてくれて、とても頼もしい。

「ところで、アルテ・ピナコテークやノイエ・ピナコテークは日曜日だと入館料が1ユーロになるんですよね」と私が聞くと、
「よく知ってますね」といった感じでニヤッと笑いながら、「美術館に行くならこれが便利ですよ」と言ってデューラーの自画像が表紙になっているコンパクトな美術館案内パンフレットをカウンターの下から出してくれた。
(アルテとノイエ・ピナコテークは、予定どおり9月8日の日曜日に行きました。ノイエは1ユーロでしたが、アルテは3ユーロでした。それでも安いです)


折りたたむと手のひらサイズになり、左側がミュンヘン市内の博物館や美術館の案内、右側が市内の地図や地下鉄やSバーンの路線図になっていて、とても便利なしろもの。
カンディンスキーをはじめとした「青騎士」の画家たちの作品を多く収集しているレンバッハハウスは長い間休館していたが、今年5月に再開したのがわかったのもうれしい。
インフォメーションの女性は「さらにいいことに夜は20時まで開館しているんですよ」と言って、該当ページの開館時間をボールペンで訂正してくれた。





インフォメーションを出てからもさらに東に歩き、今回はもう来る時間はとれないだろうと思い、イーザル川に沿って遊歩道を歩き、緑豊かな英国庭園の中を散策した。
日が昇ってきて、気温はかなり高くなってきたが、湿気がないので汗はほとんどかかない。

イーザル川河畔
 英国庭園

昼も近くなったので、インフォメーションで教えてもらったとおりに、トラムに乗ってニュンフェンブルク城に向かった。
こちらは18番線。途中で17番線に乗り換え、「ニュンフェンブルク城」の停留所で降りた。

停留所を降りると、池に浮かぶ涼しげなニュンフェンブルク城の姿がすぐに目に入ってきた。

(次回に続く)








2013年10月10日木曜日

「横山大観展」夜間特別観覧会(横浜美術館)&映画「天心」試写会

先週の土曜日(10月5日)、横浜美術館でこの日から始まった「横山大観展-良き師、良き友」のブロガーナイト(夜間特別観覧会)に参加してきました。


横浜美術館のブロガーナイトは前回の「プーシキン美術館展」に続き2回目です。いつも抽選にはずれてしまう美術館もある中、地元横浜で2回とも当選できてうれしい限りです。
横浜美術館のみなさま、「横山大観展」広報事務局のみなさま、こんな素晴らしい機会を与えていただきありがとうございました。微力ながらこのブログでしっかり宣伝させていただきます。

なお、紹介した写真は、夜間特別観覧のため特別に撮影許可をいただいたものです。
(上の写真の奥にある画家・山口晃さんが描いた横山大観や岡倉天心たちの肖像画の特設ボードは記念撮影可です)

夜間特別観覧会は、横浜美術館主任学芸員の八柳サエさんのミニレクチャーと、特別観覧会の2部構成でした。

ミニレクチャーでは、今回の展覧会の特長や見どころなどをスライドを見ながら解説していただきました。
はじめに今回の展覧会の特長についてお話をいただきました。
「ひとつめは、若手画家との交流がさかんだった壮年期の大観に焦点を絞ったことです。大観と言うと年をとってからは『巨匠』というイメージで、お国のために富士山ばかり描いた人というイメージが強いですが、この時代の大観はのびやかでユーモラスな作品を描いていたんです」

「ふたつめは、今年は岡倉天心生誕150年、没後100年、まさに天心イヤーと言っていい年なので、『良き師』である天心の影響を受けた明治期と、大正2年に天心が没した後、『良き友』たちと交流した大正期から第1回文化勲章を受章した昭和12年までを対照させたことです」

次に展覧会の構成とそれぞれの見どころについてお話をいただきました。

構成は、

 第1章 良き師との出会い:大観と天心
 1-1 天心との出会い
 1-2 日本美術の理想に向けて
 第2章 良き友-紫紅、未醒、芋銭、渓仙:大正期のさらなる挑戦
 2-1 水墨と色彩
 2-2 構図の革新とデフォルメ
 2-3 主題の新たな探究
 第3章 円熟期に至る

となっていて、メインの第2章の構成については、どれだけ時間がかかったかわからないほど悩まれた、とのことでした。
こういうお話をおうかがいすると、こちらも気合を入れて絵を見なくてはという気になってきます。

それではさっそく展示室に。
「見どころ」は展示室ごとにふれさせていただきます。

まずは第1章の第1セクション「天心との出会い」
入口には大観の東京美術学校(現・東京藝術大学)の卒業作品「村童観猿翁」。
写真では小さくてよくわかりませんが、猿回しのおじいさんは大観の先生だった橋本雅邦、子どもたちは同級生をモデルにしたそうです。

第2セクション「日本美術の理想に向けて」の見どころは何といっても「屈原」。


中国戦国時代の大詩人であり、楚国の政治家であった屈原は、事実無根の誹謗により国を追放され、絶望のうちに川に身を投げて命を絶ったという悲劇の人。
この屈原に、東京美術学校を同じく誹謗により追放された岡倉天心を重ね合わせ、大観はこの作品を描いている、とのことで、この後に描いた作品の人物がどれもおっとりとした感じなのに比べて、この屈原だけは鬼気迫る表情をしています。
この作品は必見ですが、展示は10月16日(水)まで。次の三連休がチャンスです。

第2セッションは続きます。
明治36年のインド旅行の影響を受けた作品も見られます。

第2章の第1セクション「水墨と色彩」
ここの見どころの一つは水墨の「長江の巻」と、

琳派を思わせる斬新な色あいの「秋色(しゅうしょく)」。


こちらは第2セクション「構図の革新とデフォルメ」のコーナーの入り口。
一番左の絵は講師の八柳さんが「お茶の水博士のような団子鼻」とユーモアをこめて説明されていた「老子」。
その隣は、私が特に気に入った「浪」。しばらく見入ってしまいました。

第3セクションは「主題の新たな探究」
「千ノ與四郎」は若き日の千利休。
すでに掃き清めた庭を掃くように命じられた利休が、木をゆすって葉を落とし、風情を出したという逸話を題材にしたものです。
「わび、さび」の人を、きらびやかさの中にあえて配置したという、まさに主題を新たに解釈した作品、とのことです。

今回の展覧会は壮年期の大観なので、富士山の絵は少しですが、やはり大観といえば富士。
富士山の絵もあります。


右が大観の「霊峰不二」、左が小杉未醒の「飛天」。

第3章「円熟期に至る」は大正期の大観の集大成といえるべきものです、と八柳さん。
こちらは「野の花」。大原女は大観の奥様がモデルだそうです。
 


 
作品の紹介は以上です。
東京美術学校の学生時代から、「良き友」との交流から生まれた壮年期まで、大観の作風の変化がよくわかる展示でした。
前期だけでも見ごたえのある展示ですが、今回のハイライトのひとつ「夜桜」は後期展示ですし、期間限定の作品もあるので、「これは何回も来なくては」と思わせてくれる展覧会です。

音声ガイドのナビゲーターは、この秋公開予定の「天心」で岡倉天心役を演じた竹中直人さん。

展示替えや、学芸員さんのギャラリートークなど関連イベントの詳細はホームページでご確認ください。
(大観展オフィシャルサイト)
http://taikan2013.jp/about/index.html

前回のプーシキン美術館展に来られた方も、来られなかった方も、大観展を機会に、ぜひ横浜にいらしてください。
あれ?「横山大観」がいつの間にか「横浜大観」に。
 


(追伸)
本日(10月10日)、横浜・関内で開催された「天心」の試写会に行ってきました。

監督の松村克弥さんが冒頭のごあいさつで「竹中さんが本当によく(天心役を)受けてくれた」とお話しされていましたが、「変人」岡倉天心を何の違和感もなく演じられていました。
きっと天心のような「変人」いなければ日本美術は守られなかったのでしょう。
大観役の中村獅童さんはじめ、下村観山、菱田春草、木村武山、狩野芳崖を演じだ役者さんも、みなさんはまり役で、それぞれの画家の作品を見るときは映画の場面やセリフを思い出してしまいそうです。
近代日本画に興味のある方、必見です。

(ロードショーの状況などは映画「天心」オフィシャルサイトをご参照ください)
http://eiga-tenshin.com/


美術の分野では、去年がフェルメール・イヤーなら、今年は天心イヤー。
そのせいか、最近は特に近代日本画の美術展ラッシュでうれしい悲鳴を上げています。
先週は会期末が近くなった「速水御舟」展(10月14日まで山種美術館で開催)に行って墨のグラディーションの妙や筆遣いの細やかさに感動して、今週末はやはり10月14日に終了する「竹内栖鳳」展(東京国立近代美術館)にすべり込みで行くつもりです。
「天心」を見て、観山の実直さに感動したので、大観展のあとに横浜美術館で開催される「下村観山」展にも行ってみたくなりました。

これは「速水御舟」展で特に気に入った「白芙蓉」の絵はがき。ミュージアムショップで買いました。
 

 





2013年10月2日水曜日

連邦議会選挙後のドイツ

私がドイツに行った9月上旬はちょうど選挙戦の真っただ中で、街のいたる所に候補者のポスターが貼られていた。特にバイエルンでは9月22日の連邦議会選挙だけでなく、その1週間前の9月15日には州議会選挙が行われるので、ポスターの数も政党の種類も多く見かけた。


選挙戦と言っても日本のように選挙カーで候補者名を連呼したり、街頭で候補者が演説するといったことはなく、街の中は至って静かである。
ミュンヘンにいた3日間でも、Linke(左派)がバイエルン州立歌劇場前の広場で集会を行っているのを見かけたくらいだろうか。あとはポスターにいつどこで候補者の演説会があるといったお知らせが書かれているくらいで、街頭での選挙活動はまったく見かけない。
それは、ドイツではたいていの人が支持する政党を決めていて、日本のように浮動票が大多数を占めるということがないからである(たとえば、ZDFでは「もし来週の日曜日に選挙があるとしたら、どの政党に投票しますか」といった世論調査を毎週行っているが、「その他」はせいぜい5%くらい)。
 


連邦議会選挙の結果は、CDU/CSU(キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟)が4年前の選挙から6.9ポイント伸ばして41.5%の票を獲得し、2.7ポイント伸ばして25.7%の票を得た最大野党のSPD(社会民主党)を大きく引き離して、選挙前の予想どおりCDU/CSUが大勝した。

しかし、「素晴らしい結果だ(Superergebnis)! 」と言って満面の笑みを浮かべていたメルケル首相も喜んでばかりいられない。
連立相手のFDP(自由民主党)が5%条項をクリアできず議席を失ったため、連立与党として過半数に達しなかったからである。与党として過半数を得るためには、今まで政策的に対立していた野党の中から連立相手を選ばなくてはならなくなってしまったのだ。

全630議席の各政党の議席配分は次のとおりである(過半数は316)。
CDU/CSU 311、SPD(社会民主党) 192、Linke 64、Grüne(緑の党) 63

数の上だけで見ると、CDU/CSUは他のどの政党と組んでも過半数を超えるが、実際には政策の違いやそれぞれ政党のお家の事情でそう簡単には行かない。

CDU/CSUと最大野党のSPDが連立を組むいわゆる「大連立」は、国民から大きな支持を得ているが、SPDの側には2005年から2009年に大連立を組んだとき、メルケル人気に食われて以後大きく支持率を下げたことから、大連立に対するアレルギーが根強く残っている。
ZDF(ドイツ第二放送)が9月27日に行った世論調査では、全体としては58%が大連立に賛成している。SPD支持者の間でも64%が大連立に賛成しているが、SPD支持者の中には、大連立によってSPDがダメージを受けると答えた人が50%に達していて、心境の複雑さがうかがえる(SPDの利益になると答えた人は38%)。

環境保護重視の緑の党と経済発展重視のCDU/CSUは、以前は連立など考えられなかったが、東日本大震災後にCDU/CSUが原発廃止に舵を切ったため、まったく歩み寄りができない政党ではなくなってきた。
緑の党の支持者の間でも、「CDU/CSUとの連立がもっとも良い」が67%で、「大連立がもっとも良い」の57%、「SPD、Linkeとの連立がもっとも良い」の47%を引き離している。

一方で、海外派兵やユーロ支援に反対する左派とCDU/CSUは、政策が違いすぎるので連立はあり得ない(世論調査の質問項目にも入っていない)。

つまり考えららえる連立の組み合わせは、①CDU/CSUとSPDの大連立(議席数503)、②CDU/CSUと緑の党の連立(同375)、③SPD、左派、緑の党の連立(同319)の3パターンだけである。

ユーロ支援へのスタンスなど政策的には左派とSPD、緑の党との距離も大きく(SPDと緑の党は連立を組んだこともある)、また、ZDFの世論調査では③のパターンに賛成が22%、反対が67%で、大多数の国民は支持していないが、今回の選挙で第三党に躍り出て勢いに乗る左派のグレゴール・ギジー議員団長は、ZDFとのインタビューで「SPD、左派、緑の党の3党で過半数を超えているのに、なぜこのチャンスを生かさないのか」と、余裕たっぷりにSPDと緑の党に連立交渉を呼びかけている。

1948年生まれで東ドイツ出身のギジーは、SED(ドイツ社会主義統一党)の後身で1990年に設立されたPDS(民主社会党)を率いてからすでに20年以上たつのに、風貌だけでなく落ち着きのなさやよくしゃべるところ、それでいてなんとなく憎めないところは以前と全く変わらない。
(ZDFのこの記事の「Video Gysi」をご参照ください。ドイツ語が分からない人でもギジーの「うるささ」がよくわかります)

http://www.heute.de/Linke-Rot-rot-grüne-Basis-fragen-29931006.html


可能性は少ないと思うが、選挙に大勝したCDU/CSUに一発大逆転でSPD、左派、緑の党の連立が実現しないとも限らない。
だから私は、このギジーがドイツの将来を占うキーパーソンだと考えている。

ではその時、やはり落ち着きがなくて、受けないギャグを連発するSPDの首相候補シュタインブリュックが首相になるのか?
他の国から、ドイツの中年おじさんはみんなこんなに落ち着きがないと思われてしまわないか?
(←これは冗談ですが)
個人的には緑の党のユルゲン・トリティンさん(下の写真)のように落ち着いて風格があって、なおかつ気さくな感じの人の方が好きなのだが。

 
 
いずれにしても、SPDは大連立を組むかどうかは11月14日から16日にかけてライプツィヒで行う党大会で民主的に決定する、と決めたので、これからのドイツはどうなるのか、しばらくは目が離せないところである。