2017年7月19日水曜日

映画「オラファー・エリアソン 視覚と知覚」先行上映会&トークショー

ニューヨークに滝をつくった男、今世界が注目する現代美術家オラファー・エリアソン。

東京品川の原美術館で開催された、映画「オラファー・エリアソン 視覚と知覚」先行上映会&トークショーに参加してきました。

映画パンフレット(表)

映画パンフレット(裏)
右下の写真がヨコハマトリエンナーレ2017
に出展される「グリーンライト」

映画は、2008年に総製作費約17億円をかけてニューヨークのイースト川に4つの滝をつくり、75億円超の経済効果をもたらした一大プロジェクト「ザ・ニューヨークシティー・ウォーターフォールズ」の着想から実現までの過程を軸にストーリーが進んでいきます。

カメラはもちろん主人公のオラファー・エリアソンが町工場のように大きな「スタジオ・オラファー・エリアソン」でスタッフのメンバーと打ち合わせしたり、どこに滝をつくるかニューヨークのイースト川をボートに乗って視察したりする場面を追いかけますが、彼自身がカメラの前に立って自分の芸術に対する思いを語る場面が多く出てくるので、作品の制作過程だけでなく、彼の芸術観もよくわかる構成になっています。

それだけでなく、スタジオ内の大きなキッチンでみんなで議論しながら食事したり、滝をつくるために役所に出した申請の許可がなかなか下りなくてやきもきしたり、家族とふれあうほのぼとのした場面が出てきたりして、彼の人柄や人間味のあるところなどもうかがうことができます。

それから・・・

と見どころを紹介したいところですが、ネタバレになってしまうので映画の感想はこの辺にして、あとは映画の公式サイトをご覧になって、ぜひ劇場でご覧になってください。

映画「オラファー・エリアソン 視覚と知覚」公式サイト

8月5日(土)からアップリンク渋谷横浜ジャック&ベティで公開されます。
オラファー・エリアソンの作品の出展が予定されている「ヨコハマトリエンナーレ2017」の特別割引もあります。トリエンナーレの会期中(8/4~11/5)、トリエンナーレのチケット(半券でも可)を劇場で提示すれば、当日一般1,800円のところを、割引価格1,500円で鑑賞できます。

映画の上映に続いて行われた黒澤浩美さん(金沢21世紀美術館チーフキュレーター)と青野尚子さん(アートライター)のトークショー。
とても楽しくて興味深い内容のトークショーでしたが、こちらも映画のネタバレにならない程度にご紹介したいと思います。
(筆者の判断で適宜編集しています。ご了承ください。映像がないと分かりにくい箇所もありますが、上記の映画「オラファー・エリアソン 視覚と知覚」の公式ホームページなどをご参照ください。)

青野さん「映画のご感想は。」
黒澤さん「もう一年先まで取材していれば2009年に金沢21世紀美術館で開催したオラフ
     ァーの個展まで映画になったのに。惜しいです(笑)。
     でも、2009年に彼の個展を開催する一年くらい前から、ベルリンにある彼のス
     タジオに行って打合せをしたりしたので、見たことのある場所の映像が出てき
     てとても懐かしく思いました。」
青野さん「オラファーのスタジオはとても大きいですね。キッチンまであって。」
黒澤さん「たしか3~4階建てで、ちょっとした美術館より大きいです。スタッフも80人
     ぐらいいて、まるで企業のようで、彼はその経営者といった感じです。
     彼はとても民主的な考えの人で、ランチのときも彼だけ優先されるのでなく、
     きちんと列に並ぶのです(笑)。」
青野さん「彼は黒澤さんの財布に興味をもったとか。」
黒澤さん「彼は『なぜそう見えるのか』と常に何かを観察しているのです。白いエナメル
     の財布を見せたら『いいね』と言っていました。きっとその素材が気になった
     のでしょう。
      彼の作品には光を使ったものが多いですが、必ずしも光にこだわっているの
     でなく、水だったり、他の素材だったりします。」
青野さん「観察→研究→表現のサイクルをいつも繰り返しているのですね。」
黒澤さん「彼は形に関心があって、みんなにどう伝わるか、常に考えています。」
青野さん「彼は人の反応を気にしますね。」
黒澤さん「彼の場合、作品の中に人がいるのが前提なのです。映画の中でも『リアリティ
     はつくられる。私たちがつくるもの。』と言っていたように、人と作品の『対
     話』を重視しています。
      ロンドンのテート・モダンで2003年に展示された「ウェザー・プロジェク
     ト」では、人が太陽に吸い込まれるようで、『この吸引力は何だろう』と思い
     ました。
      それでも、彼の場合、ここにランプがあって、ここにコンセントがあって
     と、『しかけ』は分かりやすいんです。
      パリのポンピドーセンターでは彼のスタジオでスタッフの人たちがスローモ
     ーションで動いているだけの動画を延々と流していましたが、これも『しか
     け』はシンプルで、見る側は『なぜこの人はこのような動きをするのか。』と
     考える時点で、オラファー・エリアソンの術中にはまってしまうのです 
     (笑)。」
青野さん「ニューヨークのウォーターフォールは、見る場所によって水の落ちる時間が
     違って見えたとか。」
黒澤さん「確かにボートで近づいてみると早く見えましたし、夜はロマンティックでし
     た。大切なのは本来ないものがある、という違和感、『なぜ』という違和感を
     感じることです。」
青野さん「ヨコハマトリエンナーレに出展される「グリーンライト」は、ワークショップ
     にシリア難民も参加していて、ヨーロッパの難民問題とのかかわりが深いです
     ね。」
黒澤さん「彼は決して社会運動家ではありませんが、芸術を通して『何が起きているんだ
     ろうか』と考える気づきを提示しています。
     『リトルサン』も電気がなくて勉強できない地域があって、それに対して人間
     として何ができるか考えるきっかけをつくっているのです。」

トークショーをおうかがいしてわかったのが、オラファー・エリアソンの「しかけ」はシンプル、でも何かを気づくことが大切だということ。
「ヨコハマトリエンナーレ2017」でオラファーの術中にはまらなくては!

順番が前後してしまいましたが、映画上映前には「ヨコハマトリエンナーレ2017」プロジェクトマネージャーの帆足さんから、トリエンナーレのご案内がありました。

○ 6回目を迎えたヨコハマトリエンナーレ。今回のテーマは「島と星座とガラパゴス」
 島は日本、星座は人間の想像力でできるものの象徴、そして、ガラパゴスはグローバル
 スタンダードから取り残されたというネガティブな意味でなく、孤立して独自の進化を
 とげた独自性をあらわすものです。
○ 2001年に開催された第1回ヨコハマトリエンナーレでもオラファー・エリアソンは翁
 鏡の振り子の作品を出展して、今回も出展しますが、この16年間の彼の変化を見ていた
 だきたいたいです。

トリエンナーレの公式サイトはこちらです。

  ヨコハマトリエンナーレ2017

さて、ヨコハマトリエンナーレ2017のチケットを買ってから特別割引で映画を見て予習するか、作品を見たあとにチケットの半券で特別割引で映画を見て余韻にひたるか、悩ましいところですが、みなさんぜひともこの機会に横浜にお越しになってください。

最後になりましたが、原美術館の紹介を。
原美術館では現在、「メルセデス・ベンツ アート・スコープ2015-2017 漂泊する想像力」が開催中。

ギャラリー1に入るとすぐに目につくのが、ベルリンの地図と市内の各所を映した映像。
ベルリンの壁崩壊のドラマや旧東ドイツをめぐる旅はこのブログでも紹介しているので、とても懐かしく感じました。
泉太郎《溶けたソルベの足跡》

ギャラリーⅡでは掛軸にかかった浮世絵風の一連の作品が。
こちらは、作者が日本の版画工房を訪れた際、作業机が気に入り、なんとその机を「版」として摺ったもの。
掛軸が並んでいるようで何となく和風なところが見ていて気持ちが落ち着いてきます。
メンヤ・ステヴェンソン《e/絵 名人の机》
詳細は展覧会のプレスリリースをご覧になってください。


※撮影不可の作品もありますのでご注意ください。

2017年7月8日土曜日

東京国立博物館 日タイ修好130周年記念特別展「タイ ~仏の国の輝き~」

東京国立博物館で7月4日から始まった日タイ修好130周年記念特別展「タイ ~仏の国の輝き~」報道内覧会に参加してきました。

タイには今まで3回行く機会がありました。
バンコク市内の寺院めぐりはもちろん、チェンマイ、アユタヤー、スコータイといった主だった観光地はおさえ、東北部(イサーン)地方の遺跡めぐりや、カンボジア領にありながらタイ側からしか入れないカオプラヴィハーン遺跡まで足を伸ばして雄大なカンボジア大平原を眺めたりしました。
思い返してみたら、最後にタイに行ったのはなんと18年前。
ずいぶんご無沙汰していましたが、このたびタイの仏像さんや象さんたちがはるばる東京までやって来てくれました。

久しぶりに感じた熱帯の心地よい生暖かい風(もちろん会場内は冷房が効いて快適です)、
そして微笑みの国タイから来た仏像さんたちの笑顔。
とてもゆったりとした気分になれる、暑い夏にぴったりの展覧会です。
みなさんもぜひトーハクでなごんでみてはいかがでしょうか。

さて、展覧会の紹介に移ります。

展示は年代順に5章構成になっています。

第1章 タイ前夜 古代の仏教世界
第2章 スコータイ 幸福の生まれ出づる国
第3章 アユタヤ― 輝ける交易の都
第4章 シャム 日本人の見た南方の夢
第5章 ラタナコーシン インドラ神の宝蔵

第1会場の第1章と第2章は、東京国立博物館学芸企画部主任研究員の猪熊兼樹さん、第2会場の第3章~第5章は同館学芸研究部主任研究員の末兼俊彦さんのギャラリートークでご案内いただきました。
(とても興味深いお話しばかりでしたが、すべては紹介しきれないので、適宜編集しました。ご了承ください。)

「日タイ修好130周年の今年、東京国立博物館として何かできることはないか、と考えて開催した今回の特別展です。」と猪熊さん。

第1会場の入口では《ナーガ上の仏陀坐像》がやさしい微笑みでお出迎え。

猪熊さん
「日本と同じ仏教国でも、仏像の感じは日本とはまったく異なります。そこでこの仏像を入口に展示しました。」
「お顔を見てみると、現代的な顔で端正でハンサムは顔をしていないでしょうか。」

《ナーガ上の仏陀坐像》(バンコク国立博物館)
とぐろを巻く蛇の神ナーガの上に座って瞑想する仏陀。
7頭の蛇の頭が仏陀を風雨から守っています。 
「手前が《法輪》で後ろが《法輪柱》です。これらはセットで発掘され、もともとは柱の上に法輪が乗っていたことがわかりました。」
手前が《法輪》、奥が《法輪柱》(ウートーン国立博物館)

「モン族の国・ドヴァ―ラヴァティー時代(7~11世紀)の仏像は鼻が横に広いのが特徴です。」
《仏陀立像》(バンコク国立博物館)
「この時代は観音像でなく菩薩像が作られていたのが特徴です。腰をまげたポーズも特徴的です。」

右から《菩薩立像》《菩薩立像》(バンコク国立博物館)
《クベーラ坐像》(クベーラはインド古来の神)(プラパトムチェーディー国立博物館)

第2章 スコータイ 幸福の生まれ出づる国

猪熊さん
「タイ人最初の王朝・スコータイ朝(13世紀~14世紀)は、タイの文化が定まった時代です。」
「座っている足は重ねるだけで、左手は軽くおなかの前に添えて、右手は下に垂らしています。この右手は悪魔を追い払うポーズで、降魔(ごうま)印と言います。頭にはラッサミーという火炎飾りが乗っているのが特徴です。」


右《仏陀坐像》(ラームカムヘーン国立博物館)
左《仏陀坐像》(サワンウォーラナーヨック国立博物館)
「こちらは日本では見かけない「ウォーキング・ブッダ」です。後ろから見るとこの仏像のしなやかさがよくわかりますので、ぜひ後ろからもご覧になってください。」
《仏陀遊行像》(サワンウォーラナーヨック国立博物館)

「こちらも日本であまり例のない《仏足跡》です。」

《仏足跡》(バンコク国立博物館)
「こちらは仏足跡とウォーキング・ブッダがセットになっています。」

左《仏陀遊行像・仏足跡》(バンコク国立博物館)
右はインド由来の想像上の怪獣《マカラ像》(カムペーンペット国立博物館)
第1会場出口近くには各曜日仏のコーナーがあります。
タイでは生まれた曜日によって守ってくれる仏像が決まっています。
右のパネルに自分の生年月日を入れると生まれた曜日がわかるようになっているので、ぜひお試しください。



ここからが第二会場。


第3章 アユタヤ― 輝ける交易の都

末兼さん
「こちらの金象はよく見ると首がはずれるようになっているのがわかります。実際にはずしてみると内側には錘がぶら下がった糸が両耳につながっていて、錘が揺れると両耳がパタパタと動く仕組みになっています。とても精巧な作りですが、タイから日本に輸送する側としてはとても神経を使うので、とんでもないことをしてくれたという思いでした(笑)。」

《金象》(チャオサームプラヤー国立博物館)
第3章は金ピカの展示品が並んでいます。
「タイでは王権の象徴である5種の神器(冠、靴、団扇と払子、王杖、剣)が代々伝わっていました。こちらは団扇と払子、杖のミニチュアです。」

左《団扇、払子、杖(神器ミニチュア)》(チャオサームプラヤー国立博物館)
右は打ち延ばした金に仏陀や菩提樹を打ち出した《金葉》(チャオサームプラヤー国立博物館)
「光るもの担当の私ですが(笑)、一押しはこの鏡です。」
「いずれもインドネシア・ジャワ島で制作され、右の鏡はタイと日本との交易の過程で日本にもたらされたもので、豊臣秀吉所用と伝わっています。」
右《素文透入柄鏡》(京都・妙法院)
左《素文透入柄鏡》(チャオサームプラヤー国立博物館)

 第4章 シャム 日本人の見た南方の夢

16世紀末から17世紀にかけて戦乱の世が治まってくると、タイとの交易も盛んになりました。活躍の場を失った浪人たちもタイに渡り傭兵として重宝がられたとのことです。

末兼さん
「こちらは描かれた年代は幕末ですが、シャムに派遣された朱印船が描かれています。」

手前が《末吉船図衝立》(大阪・杭全神社)
奥は《山田長政奉納戦艦図絵馬写》(静岡浅間神社)
鎧兜をつけた武士たちが甲板上に見えます。
「こちらの像はタイのチーク材で作られています。」

《天部形像(白衣観音坐像台座部材のうち)》(京都・萬福寺)
第5章「ラタナコーシン インドラ神の宝蔵」の入り口には高さ約5.8m、幅約1.4mの「ラーマ2世王作の大扉」がドーンと展示されています。
(「ラタナコーシン」とは「インドラ神の宝蔵」という意味で、現在のバンコク王朝の別名です。)

この大扉だけは写真撮影可能なので、後ろの大きな仏像さん(こちらは写真です)とともにぜひ記念写真を。 


《ラーマ2世王作の大扉》(バンコク国立博物館)

末兼さん
「扉の右側は火災で炭化してしまいました。展示している左側も下の方は少し黒ずんでいます。この大扉は住友財団が保存修理費用の助成をしました。大扉の出品が実現したのは、住友財団のご協力によるものです。これは新たな日タイ交流の姿と言えるのではないでしょうか。」

大扉の先に進むと、会場の真ん中にはなんと川の中を進む象が!
もちろん象は模型ですが、象鞍がどのように背中に乗っているかよくわかります。

「タイで象に乗りましたが、とても揺れてこわかったです。」と末兼さん。

私もタイでは象に乗りました。
小さい象だったせいかあまり揺れませんでしたが、乗っている間象にあげるようにバナナの房を渡されて、こちらに向けられた鼻の先にあげると器用にはさんで口に入れいていましたが、あげるのをやめると「バナナをよこせ」とばかりに鼻の先をこちらに向けて息を吹きかけてきたのには驚きました。

象の上に乗っているのが《象鞍》(バンコク国立博物館)

「私はこれを超・超絶技巧と呼んでいます。」

右《蓮華型銀器》(バンコク国立博物館)、左《香炉》(京都・萬福寺)
近くで見ると本当に凝った装飾がほどこされています。
以上、駆け足でタイ展の様子をご紹介しました。
タイ展の見どころや関連イベントは公式サイトをご覧ください。
 ↓
タイ展公式サイト

平成館前庭では「トーハク BEER NIGHT」が開催されて、タイ料理の屋台や「樽出し」のシンハービールも出ます(4日間限定です。日程等は上記公式サイトでご確認ください)。

とても素晴らしい展覧会です。
それに関連イベントも充実。
この夏はトーハクでタイにひたってみてはいかがでしょうか。
見逃せない展覧会です。

※掲載した写真は東京国立博物館の特別の許可をいただいて撮影したものです。

2017年7月2日日曜日

山種美術館「特別展 没後50年記念 川端龍子 ー超ド級の日本画ー」

山種美術館で開催中の「特別展 没後50年記念 川端龍子 -超ド級の日本画ー」特別内覧会に参加してきました。

今回の展覧会のタイトルで特に目を引いたのが「超ド級の日本画」。

1906年12月、イギリス・ポーツマス海軍工廠で竣工した新型戦艦「ドレッドノート」の出現に驚愕した列強はその後、ドレッドノートに並ぶ「弩級」(当時の表現)、さらには「ドレッドノート」を超える「超弩級」戦艦の建造を競い合いました。

まさに川端龍子の作品は超ド級。
いかに大きな衝撃を当時の日本画壇に与えたか、展覧会を見て納得しました。
今回の特別展は、初期から晩年の作品まで、豪快な大作から四条派、琳派風の繊細な作品まで、龍子芸術のすごさ、素晴らしさ、幅の広さがよくわかる展覧会です。

それでは内覧会の進行に沿って展覧会の様子をご紹介します。

はじめに山種美術館の山﨑妙子館長からご挨拶がありました。

 ○ 今回の特別展では、没後50年を記念して大田区立龍子記念館、東京国立近代美術館
  ほかのご協力をいただいて、龍子の初期から晩年までの作品を展示しています。
 ○ 今回も写真撮影可能な作品があります。前期は《真珠》、後期は《八ッ橋》です。
 
川端龍子《真珠》1931年(山種美術館)
右隻左側の女性が手にする一粒の真珠は何を意味するのか?
謎めいたところに惹かれる作品です。

○ 「Cafe椿」では龍子の作品にちなんで、五種類の和菓子をご用意しています。

左上から時計回りに「涛々」、「夏の思い出」、「竹取」、
「東くだり」、そして中央が「花のすがた」。
私は《鳴門》をイメージした「涛々」をいただきました。
淡雪のふわふわ感が心地よくてとても美味でした。
○ 川端龍子展にちなんで開催される7月8日(土)の山下裕二先生の講演会はすでに定員に
 達しましたが、次回の企画展「上村松園」にちなんで9月9日(土)に開催される芥川賞受
 賞作家 朝吹真理子さんの講演会は受付中です。
  (詳細はこちらをご覧ください)
   http://www.yamatane-museum.jp/event/shoen2017.html

続いて、明治学院大学教授で山種美術館顧問の山下裕二さんから、スライドを使って展覧会の見どころを解説していただきました。

○ 展覧会のポスターには大きく「RYŪSHI」という文字を入れました。
  川端龍子(1885-1966)は、生前は横山大観、菱田春草、上村松園、鏑木清方らと並ん
 で著名な日本画家でしたが、没後は忘れ去られた存在で、名前に「子」がつくので女
 性だと思っている方もいるかもしれないので、今回の展覧会では、まずは川端龍子の名
 前を知ってもらおうと考えて、この文字を入れました。

○ 今回は大田区立龍子記念館から多くの作品をお借りしました。
  同館は龍子が亡くなる3年前に自分で建てた個人美術館で、11月3日から没後50年特別
  展を開催するので、ぜひこちらも見ていただきたい。

○ 龍子は小さいころから絵が上手でした。
  《狗子》は14歳の頃に学校の授業で描いた作品で、円山応挙や長沢芦雪の模写です。
  先生の評価が書かれていて、この作品は「上」ですが、評価が「中」の作品もありま
 す(笑)。

川端龍子《狗子》19世紀(明治時代)(右)、《四季之花》1899年(中央)、
機関車》1899年(左)、(いずれも大田区立龍子記念館)
《狗子》の右下の名前の上には赤く「上」と書かれていますが、
《機関車》の評価は「中」です。龍子は大の犬好きで、
画室内で飼い犬が遊んでいても注意しなかったそうです。

○ 龍子は、最初は洋画家を目指していました。
  《女神》は、壺を掲げる女性と背景の珊瑚から、青木繁《わだつみのいろこの宮》(ブ
 リヂストン美術館蔵)の影響がうかがえます。

川端龍子《女神》20世紀(明治時代)(大田区立龍子記念館)
 ○ 若くして結婚した龍子は、生活のため新聞や雑誌の挿絵を手がけました。
  ここでジャーナリズムの世界にかかわったことが、のちになってタイムリーなテーマ
 を取り上げるジャーナリズム感覚を身に着けるきっかけになったと言えます。
川端龍子《漫画東京日記》1911年(左下)(大田区立郷土博物館)、
川端龍子、鶴田吾郎の共作《大和めぐり》1915年(上)、
《スケッチ速習録》第1号1915年(右下)
(いずれも大田区立龍子記念館)
○ 龍子は洋画の勉強のために渡米しますが、早々に帰国して、その後は日本画家に転向
 しました。
  こちらが第8回再興院展に出品した《火生(かしょう)》です。
  発表当時、この作品は批評家たちから「会場芸術」と批判されましたが、龍子はこれ
 を逆手にとって、自分の作品を「会場芸術」と称して大作を次々と発表します。

川端龍子《火生》1921年(大田区立龍子記念館)
全身炎に包まれた体。ものすごい迫力!
○ 龍子は、昭和3年(1928年)に再興院展を脱退し、翌年、青龍社を立ち上げ、第一回青
 龍展を開催します。
  その時に出品されたのが《鳴門》です。
  青龍社は、再興院展に対抗して、ダイナミックさ、スケール感、スピード感をもった
 作品を目指していました。この作品では、日本画の絵の具の中ではもっとも高価な群青
 を6斤(約3.6Kg)も使って、鳴門の荒波を表現しています。  

川端龍子《鳴門》1929年(山種美術館)
海のうねる音が聞こえてきそうな迫力です。
○ 《草の実》は1931年の作品で、前年に発表した《草炎》(東京国立近代美術館)の評判
 が良く、もう一枚書いてほしいとの要望があって製作されたものです。
  この作品には、紺紙金字一切経(神護寺経) (12世紀(平安時代) ロンドンギャラリ
 ー)など紺紙金泥経の影響がうかがえます。
  独学で日本画を勉強してきた龍子ですが、この時期になると上手になってきました 
 (笑)。自信をもって線を描いています。また、何種類もの金やプラチナを使っていて、
 手前を濃く、奥を薄く描いて、奥行きがあるように見せています。
  酒井抱一《夏秋草図屏風》(東京国立博物館)の影響も見て取れます。

川端龍子《草の実》1931年(大田区立龍子記念館)

《草の実》の解説です。
紺紙金字一切経(神護寺経)の写真も掲示されています。
 ○ 龍子は、画風の振れ幅が大きく、多面性をもった画家で、それが龍子の魅力と言えま
 す。
  《黒潮》は、第2回個展に出品された作品で、すきっとした切れ味の鋭い作品に仕上が
 っています。

川端龍子《黒潮》1932年(山種美術館)
 ○ 《龍巻》は、第5回青龍展に出品された作品です。
  この作品は、下図の段階で天地を逆にしたもので、竜巻で舞い上がった海の生き物が
 天から降ってきています。

川端龍子《龍巻》1933年(大田区立龍子記念館)
1933年といえば日本が国際連盟を脱退し、ドイツではヒトラーが政権をとった年。
当時の不穏な空気が感じられる作品です。
 一方で、《鶴鼎図》のように円山四条派風のオーソドックスな作品も描いています。

川端龍子《鶴鼎図》1935年(山種美術館)
○ 龍子は、軍の嘱託画家として中国戦線に行っています。その時、龍子は偵察機に同
 乗して、その体験をもとに《香炉峰》を描きました。
  龍子は高所恐怖症だったようですが(笑)。

○ 描かれた戦闘機の機体が半透明で、背景の山が透けて見えています。こんな発想はど
 こから出てきたのでしょうか。やはり異色な画家です。
  パイロットはしっかり自分の顔を描いています(笑)。
  画面に広がりをもたせるため、機体をわざとはみ出させています。これは俵屋宗達
 《風神雷神図屏風》で雷神の太鼓が枠からはみ出ているのと同じ効果ですね。 

川端龍子《香炉峰》1939年(大田区立龍子記念館)
描かれているのは零戦の一代前の九六式艦上戦闘機。
縦2.4m、横7.2mの大作です。

○ 《爆弾散華》は第17回青龍展に出品された作品です。
  龍子の自宅は終戦の2日前に米軍の爆弾が落ちて大きな被害を受けました。そのときの
 菜園の野菜が吹き飛ぶ様子が描かれています。

川端龍子《爆弾散華》1945年(大田区立龍子記念館)
飛び散る金箔が戦争の悲惨さを物語っているように感じられます。

○ 時代をとらえるジャーナリストとしての視線も活かされています。
  《夢》は1950年に中尊寺金色堂に安置されている藤原四代のミイラの学術調査が行わ
 れた際、実際に現地に取材して描いたものです。

川端龍子《夢》1951年(大田区立龍子記念館)
○ 《松竹梅のうち「竹(物語)」》は、横山大観、川合玉堂、川端龍子の三巨匠が、3回
 開催された「松竹梅」展でそれぞれ描いた松竹梅のうち、第3回展で龍子が描いた作品で
 す。
  院展脱退以降、大観との間に確執があった龍子ですが、こういった交流もありまし 
 た。大観と龍子の関係はこれからの研究テーマではないでしょうか。

川端龍子《松竹梅のうち「竹(物語)」》1957年(山種美術館)
○ 龍子は仏教への関心の高さを示す作品も描いています。
 《十一面観音》は、龍子が自邸内に設けた持仏堂に安置していた本尊を描いた作品で
 す。

川端龍子《十一面観音》1958年(大田区立龍子記念館)
そして最後に山下さん。
「川端龍子は、作風の振れ幅が広く、多面的な側面をもった画家です。このスケール感の大きさをぜひ体感してください。」

7月16日(日)にはNHK「日曜美術館」で川端龍子展が紹介される、とのことです。

続いて会場では担当学芸員の南雲さんのギャラリートークをおうかがいしました。

第1章 龍子誕生 ー洋画、挿絵、そして日本画ー

○ 龍子は、旧制中学中退後、白馬会洋画研究所に入り洋画を学びました。
  古事記の海幸彦、山幸彦の神話を題材にした《女神》は20歳前後の習作で、《風景(平
 等院)》は激しい筆致の作品で、光を取り入れ明るい色彩で描いているところは外光派
 (戸外に出て外光のもとで制作した画家のグループ)の影響を受けている可能性もありま
 す。
 

川端龍子《風景(平等院)》1911年(大田区立龍子記念館)
○ 21歳で結婚した龍子は、生活のため国民新聞に勤務し、新聞の挿絵や「少女の友」の
 イラストなどを描いていました。
  国民新聞では、大相撲の取組を現場に行ってスケッチして、徹夜でそれを木版画
 にして、翌日の新聞の印刷に間に合わせるということもしていました。その仕事を通じ
 て龍子は相撲好きになりました。

第2章 青龍社とともに ー「会場芸術」と大衆ー

○ 昭和3年に脱退した再興院展への対抗意識が強かった龍子は、第一回青龍展を再興院展
 の会場の隣の会場で開催しました。
  第一回青龍展に出品された《鳴門》では金がふんだんに使われています。
  《爆弾散華》でも金箔が今までになかったような独特な使い方がされています。

川端龍子《鳴門》(部分)1929年(山種美術館)
下から見上げると金がキラキラ輝いているのがよくわかります。
第3章 龍子の素顔 -もう一つの本質ー

○ 《千里虎》は出征する息子のために描いた作品です。虎は一日のうちに千里を往復す
 ると言い伝えられていて、息子を思う父親の気持ちが表れている作品です。

川端龍子《千里虎》1937年(大田区立龍子記念館)
父親の願いはかなわず、息子さんは外地で帰らぬ人となりました。
見ていて胸がジーンとする作品でした。
そして最後に南雲さん。
「今回の展覧会は、川端龍子を知らない方にぜひ知ってもらいたいと考えて企画しました。大作だけでない龍子の魅力をぜひご覧になってください。」

(みなさんから大変興味深いお話をたくさんおうかがいしましたが、とても全部は紹介しきれないので、適宜編集しました。ご了承ください。)

展覧会のタイトルどおりまさに「超ド級」の日本画展。
前期は7月23日(日)まで、後期は7月25日(火)から8月20日(日)までです。
前期に行くか、ポスターにもなっている《金閣炎上》(1950年 東京国立近代美術館)が出る後期に行くか、それとも両方行くか悩ましいところですが、いずれにしても川端龍子のスケールの大きさが実感できる、またとない絶好の機会です。
お見逃しなく。

展覧会の詳細はこちらです。
 ↓
http://www.yamatane-museum.jp/

※掲載した写真は、山種美術館の特別の許可を得て撮影したものです。