2017年11月12日日曜日

泉屋博古館分館 特別展「典雅と奇想 明末清初の中国名画展」

泉屋博古館分館 特別展「典雅と奇想 明末清初の中国名画展」が11月3日から始まりました。

この展覧会は静嘉堂文庫美術館で開催中の「あこがれの明清絵画~日本が愛した中国絵画の名品たち~」とのコラボ企画。
11月2日の内覧会と11月3日のオープニングの日に2日連続で行ってきましたが、会場に入った瞬間、あまりにすごい中国絵画のラインナップに思わず立ちすくんでしまいました。
さらに内覧会では東京大学東洋文化研究所・情報学環 板倉聖哲教授のギャラリー・トークで明清絵画の見どころをおうかがいして、中国絵画の奥行きの深さを知ることができました。
これからも板倉教授のゲスト・トーク、野地耕一郎・泉屋博古館分館長のギャラリー・トークが開催されます。展覧会の概要やゲスト・トーク、ギャラリー・トーク、さらに静嘉堂文庫美術館との連携企画の日程等はこちらでご確認ください。

https://www.sen-oku.or.jp/tokyo/program/

さて、今回の特別展がどれだけ素晴らしい展覧会か、内覧会の様子をお伝えしながら紹介したいと思います。

内覧会では初めに野地分館長からごあいさつがありました。

野地分館長
「今回の展覧会は静嘉堂文庫美術館とのコラボ企画です。2つの展覧会を見ると15世紀から19世紀までの中国絵画の流れがよくわかる構成になっています。」
「両方の展覧会のチラシのデザインは全く違いますが、2つ並べると猫が魚を追っているところになります。(笑)」(これは気がつきませんでした!)


「なぜ今、中国絵画かというと、中国絵画が現代作家への刺激になっていて、若い作家が水墨画に興味をもち、水墨画で現代アートを描く動きがあります。また、ここ10数年の間、東アジア全体で水墨画を考える動きがあって、こういった動きの中で今回の展覧会が位置づけられます。」
「明末清初は異民族支配による王朝交代という激動の時代でした。この時期の絵画も『絵画の変』とも言える時代でした。」
「今回の展示は巻物や図冊が多いので、巻物の巻き替えや図冊のページ替えが多く、ほぼ1日ごとに20回ページ替えする図冊もあるので、全部見るには毎日来なくてはなりません(笑)。」

続いて板倉教授のギャラリー・トークをおうかがいしました。
「清初の代表者・石濤は贋作が多いのですが、泉屋博古館は真作と確認されている作品を3点所蔵していて、世界屈指の石濤コレクションを持っていると言えます。」
「他にも中国絵画のよい作品を所蔵していて、今回の展覧会は同館所蔵作品と他館所蔵作品を合わせて全部で54点、よりすぐったものが展示されていて、日本の明末清初の最高レベルの展覧会と言うことができます。」

展覧会は6章構成になっていて、最初は「Ⅰ 文人墨戯」です。

「今回の展覧会では実現したいと思っていたことが2つ実現しました。
 そのうちの一つが、徐渭の《花卉雑画巻》2点を並べて展示することでした。」
「徐渭は書も、絵も、文学作品も書くすごい人で、明末清初を切り開いた人でした。」
「東京国立博物館蔵の方が中年期、泉屋博古館蔵の方が晩年期の作品です。巻き替えがあって、後期には小魚やカニ、野菜が出てきますが、これは酒の肴を描いたもので、描いた時期による表現の違いに注目してください。」
「晩年の作品には奥行きがあります。また、竹の輪郭線を描いたあとに水気のある筆で岩の質感を出していますが、竹の輪郭線にはにじませないという周到な計算が見られます。」
どちらも徐渭《花卉雑画巻》
手前が東京国立博物館蔵、奥が泉屋博古館蔵
続いて「Ⅱ 明末奇想派」のコーナーです。

「曽我蕭白や伊藤若冲ら江戸時代の『奇想の系譜』のもとが明末にあります。明末ははっきりと『奇想』が理論づけられた時期です。日本人のあこがれが、まさにここにありました。」
(こちらが「Ⅱ 明末奇想派」のコーナーです。こんな形をした岩があるのかと思ってしまう《柱石図》、岩や木々が画面一面にうねっている《寒林訪客図》といった作品が並んでいて壮観です。《柱石図》《寒林訪客図》とも北宋後期の文人、米芾の末裔とされる米万鐘の作品です。)

右から米万鐘《柱石図》(根津美術館)、米万鐘《寒林訪客図》(橋本コレクション)、
丁雲鵬《夏山欲雨図》(橋本コレクション)、張瑞図《春景山水図》(泉屋博古館)
王建章《飛泉喬松(松林山水)図》(根津美術館)
「明末清初には絖本(こうほん 光沢のある上質の絹)、金箋(きんせん 金箔を塗った紙)が流行しました。張瑞図《山水書画巻》は金箋の上に水墨画を描いたもので、全体が光って見えます。注目の作品です。」

右 張瑞図《山水書画巻》(泉屋博古館、重美)、
左 董其昌《山水(書画合璧)図冊》(東京国立博物館)

次は「Ⅲ 都市と地方」のコーナーです。

「このコーナーでは、明代後半に経済的に繁栄した江南地方の蘇州で活躍した画家たちの作品が展示されています。」
「李士達は丸っこい人物を描くのが特長です。《竹裡泉声図》には右上に初唐・沈佺期の詩が書かれていて、この詩を知ると何が描かれているかわかるようになっています。」
(ぜひ解説パネルをご覧になってください!)
「盛茂燁《渓頭閑興図》は10数年ぶりの公開なのでお見逃しなく。空気感のある作品で、よく見ると画面の上の方がけむっているようです。」
右から、李士達《石湖雅集図扇面》(橋本コレクション)、
李士達《竹裡泉声図》(東京国立博物館 重文)、藍瑛《甲申山水図》(個人蔵)、
盛茂燁《渓頭閑興図》(個人蔵)
「邵弥《山水図》は、細かい筆遣いが見どころですが、もう一つの見どころは『かすれ』です。『かすれ』からは筆のスピード感が感じられ、画家の存在が見えてきます。」
「詹景鳳《山水図》は倪瓚に倣っていますが、人物が描かれています。これは倪瓚には見られなかったことです。この時代には現実に対するまなざしが変化してきました。張宏《越中名勝図冊》は実際に目にした景観を描いたものです。」

右から、邵弥《山水図》、詹景鳳《山水図》(以上、泉屋博古館)
徐枋《倣倪瓚山水図》(個人蔵)、張宏《越中名勝図冊》(大和文華館)


次に「Ⅳ 遺民と弐臣」のコーナーに移ります。

1644年に明が滅び、異民族の清が中国を支配したとき、明に仕えていた人たちは人生の選択を迫られました。清に従うのか、従わないで遺民になるのか、遺民となっても清に抵抗するのか、隠遁生活をするのか。

「画風と生き様がシンクロしないところが研究者として悩ましいところです(笑)。」と板倉教授がおっしゃるとおりバラエティに富んだ作品が並んでいます。

右から、王鐸《六根無塵図》、傅山『雲山寂莫図》(以上、橋本コレクション)、
許友《枯木竹石図》、周之夔《渓澗松濤図》(以上、泉屋博古館)

(ガラスケースには明滅亡後、遺民となって隠遁生活を送った龔賢(きょうけん)の山水長巻が展示されています。中国絵画ではよく見かけますが、こういった「もこもこ感」が好きです。)

龔賢《山水長巻》(泉屋博古館)


清朝が安定し全盛期を迎えると、今度は明と清の両方に仕えた人たちが乾隆帝(在位1735-95)の時代に「弐臣」としてさげすまれ、その作品は低い評価を受けました。
「彼らの作品が欧米でなく日本に入ってきたのは、江戸時代の日本人がいち早く関心をもったからではないでしょうか。一番いいものが日本に入ってきています。」

「清朝滅亡(1912)後も日本人の中国の書画への関心は高く、多くの作品が日本に入り、明治大正期の画家たちに刺激を与えました。」

「野口小蘋《春山明麗図》(大正3年)は、周之夔《渓澗松濤図》を見たのではないか、と言われています。」

左が野口小蘋《春山明麗図》(泉屋博古館分館)、左が周之夔《渓澗松濤図》(泉屋博古館)


続いて「Ⅴ 明末四和尚」のコーナーです。

遺民画家の中でも出家して僧籍に入った四人の画家たちは「四画僧」と呼ばれていました。
「1人目は漸江です。左が前期、右が晩年の作品です。この作品は特に色に注目です。」
(右の絵をよく見ると、木の葉は紅葉らしく茶色、松の葉は緑、そして遠くの山は青く塗られているのがわかります。)
「遠山の向こうに理想郷があるかのように描かれています。」と板倉教授。

左 漸江《竹岸蘆浦図巻》、右《江山無尽図巻》(いずれも泉屋博古館)
「2人目が石渓です。石渓の最もいい作品2点、《達磨図巻》と《報恩寺図》が展示されています。

右が石渓《達磨図巻》(泉屋博古館)

左が石渓《報恩寺図》、右は石濤《廬山観瀑図》(重文)
(いずれも泉屋博古館)

「3人目は石濤です。」
「実現したいと思っていて今回の展覧会で実現したことの二つ目はこれです。」と板倉教授。「黄山を描いた石濤の作品2点《黄山八勝図冊》《黄山図巻》を並べることでした。」

手前が石濤《黄山八勝図冊》、奥の左が《黄山図巻》(いずれも泉屋博古館、重文)
奥の右が《黄山図冊》(京都国立博物館) 
「石濤は色遣いに注目です。」
「唐代からある青緑山水の色遣いには、手前に茶・赤茶、真中に緑、遠くに青というルールがありましたが、石濤はこのルールを積極的にこわしたのです。」

「山水画を見たら必ず人物を探してください。その人物がどの方向を向いて、どこへ行こうとしているのか見てください。そうするとその人物とともに自分自身も絵の空間に入ることができます。」

「そして4人目は八大山人です。」

「中国絵画は擬人化が上手ではありませんでしたが、八大山人は早くから擬人化した動物を描いていました。」

(八大山人《安晩帖》は20図あって、ほとんど毎日頁替えするので、パンフレットに出ている魚は《安晩帖》の複製で見ることができます。)

そして最後のコーナーは「Ⅵ 清初の正統派、四王呉惲」です。

「個性的な四画僧に対して、四王呉惲は正統派でした。」

王時敏は董其昌の弟子で、山水画を得意としました。
王原祁《倣元末四大家山水図》は、元末四大家の黄公望、王蒙、呉鎮、倪瓚の山水図に倣ったもので、
「日本にある王原祁の作品の中で一番いいものです。四人の個性を自分なりの表現で描いています。四幅のうち、右二幅は色を使っていて、左二幅は色を使っていないところに注目です。」と板倉教授。
手前が王時敏《江山蕭寺図巻》(国(文化庁保管)、重文)、
奥が王原祁《倣元末四大家山水図》(京都国立博物館)
王翬の《関同晴麓横雲図》(個人蔵)と《倣趙令穣江村平遠図巻》(京都国立博物館)は後期に展示されます。楽しみです。(ちなみに四王のうちもう一人は王鑑です。)

呉惲のうち、宣教師だった呉歴と、「正統派の中の奇想派」惲寿平の素晴らしい作品も展示されています。

「江戸時代の日本人の中国絵画に対するあこがれを明治大正期の人たちも感じとりました。だからこそいい作品が日本に残っているのです。」(拍手)



先人たちのおかげでこんな素晴らしい中国絵画の名品が日本に残っているのは本当にありがたいことだと思いました。
野地分館長がお話されたように毎日通いたいところですが、とても時間がとれないので、少なくとも後期にはもう一回来るつもりです。
前期展示はあと残りわずかです。お見逃しなく。