2018年4月12日木曜日

東京富士美術館「暁斎暁翠伝」ブロガー内覧会

斬新で、型破りで、勇壮で、ユーモラスで、そして風刺もきいた河鍋暁斎。そして父・暁斎に絵を学び、暁斎の画風を引き継ぎつつ女性らしい優しさを表現した娘の暁翠。
この父娘の競演「暁斎暁翠伝」が東京八王子の東京富士美術館で開催されています。



暁斎のバラエティに富んだ作品はもちろん、娘・暁翠の作品が前後期合わせて80点も展示されるのは滅多にない機会。会期は6月24日(日)までですが、前期と後期があって作品も入れ替わるので、出品作品リストを見て、さっそく八王子に行く予定を手帳に書きこみましょう!

展覧会の概要はこちら、暁斎・暁翠伝 をご参照ください。 

関連イベントも盛りだくさんです。

前期は4月1日(日)~5月13日(日)、後期は5月15日(火)~6月24日(日)、

前期後期にかかわらず展示期間の短い作品もあるので、

作品の展示替えはこちら、出品作品リスト でご確認ください。

さて、それでは4月1日(日)のオープンに先駆けて3月31日(土)に開催されたブロガー内覧会に参加しましたので、展覧会の様子を紹介したいと思います。

この日はまだ桜が散りはじめで、花びらが美術館のまわりをはらはらと舞っていました。


7歳で歌川国芳のもとで修行して、その後駿河台狩野派に学び、19歳で修行を終えた早熟な暁斎。国芳や狩野益信の作品が並ぶプロローグに続いて始まるのは、「第1幕 暁斎伝」。
案内していただいたのは、暁斎の曽孫にあたる河鍋暁斎記念美術館の河鍋楠美館長と東京富士美術館の担当学芸員の方のお二人。

※掲載した写真は、美術館の特別の許可をいただいて撮影したものです。

最初のコーナーから「画鬼暁斎」らしい作品が並んでます。


数え3歳で蛙を写生して以来、生涯蛙を描き続けた蛙好きの暁斎(下の写真右《蛙の人力車と郵便夫》)。やはりこのユーモアのセンスが暁斎らしさです。
そして左が17歳で描いた《毘沙門天像》。
河鍋楠美館長は、ご自身が17歳で今後の進路を考えなくてはならないとき、この絵を見て、「同じ年でこれだけの絵は描けない、画家になるのはやめよう」と決心されたとのことです。


続いて有名な「百円鴉」。
明治14年(1881年)、第二回内国勧業博覧会に出品して絵画の最高賞を受賞した《枯木寒鴉図》。当時の教員の初任給が5円程度だった時代に破格の百円で日本橋の菓子商・榮太樓の主人が購入したもの。



《夕涼み美人(骸骨) 下絵》
暁斎は下絵にもこだわりました。この美人画の下絵にはちゃんと骨まで描かれています!


続いて動物画。
こちらはジョサイア・コンドル旧蔵の《鯉魚遊泳図》。正面を向いている鯉の顔がユニーク。ジョサイア・コンドルは、暁斎のもとに入門した英国人建築家。画号は暁斎の暁とイギリスの英をとって「暁英」。


狩野派の伝統を感じさせる《竹虎之図》(左)はじめ、《月に二羽の杜鵑(ほととぎす)》(中)、《鶴図屏風》(右)と真面目な作品が並びます。やはりこの力量はすごい!


次に美人画と道釈人物画が並びます。


着物の絵柄からそれとわかる《極楽太夫図》。


《美人観蛙戯図》。蛙が相撲を取っています。女性のすねのチラリズムがいかにも暁斎。


暁斎の《風神雷神図》(双幅)。
琳派では風神を右、雷神を左に描くのに対して、暁斎は狩野派の伝統にしたがって風神を左、雷神を右に描きました。律義なところもある暁斎です。


続いて幽霊・妖怪変化図、風俗画・物語絵、風景・山水画のコーナーに移ります。


《飴天狗》。
天狗たちが飴に引き寄せられています。明治維新後の世相を風刺しているのでしょうか。


暁斎の戯画・風刺画も面白いです。
《放屁合戦絵巻(二巻)》
これぞ暁斎!放屁のこの力強い筆の勢い!


しっかりと趣のある山水画も描いています。


初公開の《水墨山水図》。


雪舟の破墨山水図みたい!
春の景色を墨一色で描いたすごくいい絵です。
《墨堤春色図》



何で電信柱?と思いましたが、当時、電信柱は文明開化の象徴でした。
《電信柱》(画:暁斎、賛:山岡鉄舟)

浮世絵も忘れてはいけません。

《風流蛙大合戦之図》
元治元年(1864)の長州征伐を蛙合戦に見立てた錦絵。
出版されたのも同じ年で、まだ江戸幕府の時代。人間を描くと幕府にとがめられたので、蛙を描いたとのことです。右下の蓮の葉には紀州徳川家の家紋「六ツ葵紋」が描かれていますが、幕府のおとがめをおそれてか、初版にあったこの紋は二版からは消されたので、「葵の御紋があるのが価値があります(笑)。」と河鍋館長。



暁斎は本の挿絵の仕事もしています。


25年前にロンドンで暁斎展を開催したときには、「本当に一人の画家が描いたのか?5人の画家が描いたのではないか。」と言われたそうです。
こうやって作品を見ていると、本当にそう思われても仕方がないくらい作風の幅がとても広いですね。

第1幕と第2幕の間には間奏「暁斎・暁翠、父娘二代の能・狂言画」が入ります。

さて、この鐘は?
そう、これは能「道成寺」の鐘で、展示用にひとまわり小さく作られたもの。
暁斎は能・狂言にも精通していました。


右の下絵は、能「道成寺」で僧侶に裏切られた女の怨念が白拍子となって鐘の中に入り、早着替えで蛇に変わるところを描いたもの。
《道成寺(鐘の中) 下絵》(暁斎)



下の写真は右から《能 石橋》《松風・羽衣》(双幅)《狂言 末広がり》《式三番 翁之図(裏面:秋草に雀)》(いずれも暁翠)

《十二家ヶ月図屏風》(六曲一双)は11月まで描いたところで暁斎が亡くなったので、暁斎が描き遺した鴉の絵を暁翠が貼りこんだものです。父娘の合作ですね。






第2幕は「暁翠伝」です。
こちらは暁斎が娘・暁翠のためにお手本として描いた《柿に鳩図》。
鳩のふっくらとした質感がいいですね。


まずは動物画と美人画から。


《寛永時代美人図》
暁斎の下絵をもとに暁翠が描いた美人画で、暁斎の下絵の猫を狆(ちん)に替え、山水図屏風や調度品を描き加えたもの。女性も優しげで、狆も愛らしいです。


《月に崖上の狼》
獰猛なはずの狼の目がくりくりしている!


さらに美人画、神仏画、風俗画と続きます。


《百福図》
ふくよかで愛らしい顔をした100人以上の福女。
解説パネルにも「こうしたユーモアは、父譲り」と書かれていました。


この《百福図》は西陣織の帯の下絵です。
帯は展示室最後のコーナーに展示されています。
《暁翠筆《百福図》西陣織》(大西織物)


《恵比寿、大黒天と鼠》
下の方に描かれているのは、裃を付けた男鼠と打掛を着た女鼠が大根をささげているところ。このユーモアはやっぱり父親譲り?


《養老の瀧図》
奈良時代、美濃国の貧しい男が薪を取りに入った山中で酒が湧き出る岩を見つけて父に孝行する話をえがいた作品。
紅葉の赤が鮮やかです。


浮世絵もあります。


《毘沙門天寅狩之図》
こういった勇壮な作品もありますが、


《五節句之内 花月》
こういったあでやかで優雅な作品もあります。
暁翠も暁斎に負けずに画風の幅の広い画家ですね。


暁翠は明治30年代後半には女子美術学校(現在の女子美術大学)で日本画教授を務め、日本の女子教育に尽力しました。

女子美術学校時代の写真も展示されています。





エピローグは「現代に「伝」えられる暁斎」。暁斎・暁翠の足跡がしのばれる遺品や資料が展示されています。


駆け足で展覧会の様子を紹介しましたが、いかがだったでしょうか。
とてもすべては紹介しきれないですし、展示替えもあるので、ぜひその場でご覧になっていただきたいと思います。

これから季節も良くなりますし、ハイキング気分で八王子まで足を運んでみてはいかがでしょうか。

そして河鍋楠美館長の著書『河鍋暁斎・暁翠伝』。
こちらは今回の展覧会の図録でもあります。
カラー図版もきれいで、「暁斎・暁翠伝」のエッセンスがぎゅっと詰まっていて、暁斎や暁翠のエピソードもあって、とても読みやすい本です。おススメです。